新たな考えが浮かぶ・ふく子の弱点|プロローグ⑦

プロローグ

新たな考えが浮かぶ・50代ふく子の弱点

前回、土台となる仕事も見つかり、3年計画のもとで貯金を貯えていったふく子。

母親の入退院が続いたが、施設に入ることでひとまず問題は解決した。

しかし、離婚を考えたとき、子ども3人と今の場所で暮らすのは難しいと感じていた。

交友関係や学校、塾など子どもたちの生活に問題はなく、父親との関係も悪いわけではない。

結局のところ、ふく子自身が「夫とこれからの時間を過ごしたいと思えなくなった」という個人的な問題だった。

表面上うまくやれば問題はなかったかもしれない。

しかし、ふく子の性格がそれを許さなかった。

そういった選択ができるとしたら「子どものため」だけだった。

しかし、ふく子は疲れていた。年齢的な節目、相談にならない夫、自由で陽気な子どもたち。

まるでふく子だけが神経質で、一人で何かしらの問題を抱えているように見えた。

だからこそ、時間をかけて家の外に賃貸を借りた。

週末は自分の城で過ごした。ふく子らしい自分に戻れる時間があった。

すると、子どもたちも遊びに来るようになり、夫とも前向きに話せるようになった。

ふく子が家を出たことで、夫も子どもたちもそれぞれが自分のことをやるようになった。やっと「対等な関係」になれた気がした。

家族とは、ただ一緒にいるだけの存在ではなく、個々が自立しながらも助け合う関係であるべき。

お金はかかるし、子育ては大変だが、ふく子は「3人の子どもを産んでよかった」と心から思った。

彼らも「チーム」だったのだ。

ふく子の視覚優位とカラー診断

ふく子は「思いがけないところで贈り物がやってくる」という感覚を大切にしている。

そんな直感的な生き方が影響し「思い立ったら吉日」で行動するタイプである。

ごたごたしている間も新たな挑戦として手話の勉強を始めていた。

厳密には勉強と呼べるものではなかったが、興味を持ったのは通信大学で出会った臨床心理学の先生の影響だった。

その先生の授業は刺激的で、特に印象に残っているのは「沈黙」の授業。

コロナ禍のオンライン授業で、パソコン画面には先生の表情、自分の表情、他の参加者の表情が映し出されていた。

その授業で出された指示はこうだった。

「みんなを観ていること。しゃべりたかったらしゃべってもよい。しゃべらなくてもよい。ただし、本を読んだり他のことをしてはいけない。」

この体験を通じて、「相手の話を聞くことの難しさ」、そして「沈黙が相手の話を引き出す力になる」ことを実感した。

そして、人は「考えていなくても話したい生き物」なのだとも感じた。

そんな先生から、ふく子は「視覚優位傾向だね」と言われたことがある。

目で見て理解する方が早く、説明書を読まずに直感で理解するタイプ。

例えば、IKEAの家具の組み立て説明書には言葉がないが、ふく子にはとても分かりやすかった。

そういった感覚的な脳の使い方が、カラー診断に興味を持った理由だったのかもしれない。

後に「ビジュアルシンカー」という本があることを知った。

視覚優位の人の思考について書かれているらしいが、まだ読めていない。

ただ、聴覚優位の人からすると驚きの内容らしい。

ふく子の記憶は「画像」でファイリングされている。

カラー診断をした人の特徴ある色は写真のように脳内に保存され、どんな服装だったか説明できることが多い。

自分の脳がそうなのだから、他の人もそうだろうと思っていた。しかし、違うらしい。

これに気づいたことで、カラー講師としての説明の仕方が変わった。

ふく子は「エンタメ要素のある悩み解決」が得意であり、楽しませながらカラー診断を提供してきたが、人によって色の理解の仕方が違うことを改めて実感した。

ふく子は「感覚派」。しかし、言語で理論的に説明しないと理解できないタイプの人もいる。

この発見を通じて、ふく子の講座はより多くの人に伝わるものになった。

手話との出会いと「観る言語」

視覚優位の自分を意識することで、ふく子は「手話」に興味を持つようになった。

言語は大切なツールではあるが、ふく子はどこかで「信用しすぎてはいけない」と思っていた。

「大丈夫?」と聞いて「大丈夫」と返ってきても、そうではないことがあると感じることが多かったからだ。

手話は「観る言語」。視覚優位のふく子ならば得意なのでは? そんな仮説を持ち、手話の学習を始めた。

変わらぬ離婚への決意と新たな挑戦

夫は「このままでもいいではないか」という考えだったが、ふく子は「離婚する」と決めていた。

離婚をした上で、子どもたちの父親として関わってほしかった。それだけの話だった。これは他者に理解されないかもしれないが、理解してもらうつもりもなかった。

夫は「他に男がいるのだろう」と疑っていたが、離婚が成立していない以上、そんなことには興味もなかった。ふく子は昭和的な結婚スタイルには向いていないタイプだったのかもしれない。

ふく子は自由を求める人間だった。

ふく子は裕福な暮らしに憧れていたわけではない。

家族が笑顔ならばそれでよかった。

だが、夫は世間体を気にしているのか、自分のステータスを気にしているのか、変われない人でもあった。

それが一般的な話かもしれない。

だが、収入に見合ってないものを捨てることができない人。維持ができないということを理解してくれる人ではなかった。

上手くいかないと癇癪を起す。 大きな子どもである。

離婚は慎重に進めなければならなかった。 3年計画はあと2年延ばすことにした。

工場の仕事、カラー講師、母親としての役割、3人の子どもに関わる行事や手続き、時に両親のサポート……ふく子の脳内は常にフル回転していた。

自分も大事だが子どもも大事。教育資金は待ったなしだ。 

時間は限られている。 そこでふく子は考えた。

不労所得が欲しい。

50代の経験値をシェアすることで価値を生み出せないか。

ふく子は感覚人間なので器用貧乏である。

しかも「みんな違ってみんな良い」という考えを大切にしているがゆえに、特化が苦手で迷いやすい。

そんなふく子にでもできることはないか?

勝手にお金が発生する何かがないだろうか?

まずは情報収集。

ふく子のYouTube漬けの生活が始まった。

これがこのブログを始めるきっかけになったのである。

どれだけ時間を費やしただろうか。

ふく子は夢中になると過度に集中する傾向があった。

そいういったこともブログで紹介していきます。

プロローグ  完

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