母の持病と私の葛藤|プロローグ④

プロローグ

幼少期の記憶|母が背負った過去

ふく子の母には、精神的な持病 があった。
それは、幼少期の体験が深く関係しているかもしれない。

母は4人兄弟の長女だった。
彼女が2歳のころ、高熱を出したが、家計の事情で親は長男の命を優先し、薬を与えた。
だが、薬を与えられた長男は亡くなり、見捨てられた母は生き延びた。

もしかすると、その時の高熱が母の人生に影を落としたのかもしれない。

彼女は感覚的で、どこか常識から外れたところを持っている人だった。


母の病の発症|不可解な言動と家族の混乱

それは、母が更年期を迎えた頃だった。
ある日、地域の人たちと旅行に行き、帰宅した母は突然こう言い出した。

「あいつらに何か体に入れられた」

最初は意味が分からなかった。
しかし、その後の母の行動は明らかに異常だった。

  • 服をハサミで切り刻む
  • 服のまま冷たいシャワーを浴びる
  • 口の周りに辛子を塗る
  • 幻覚・幻聴に苦しむ

家族は混乱した。
父は霊媒師に相談するが、提示されたのは「お祓い費用100万円」。
「本当に治るなら払うが、信じられるか!」 と父は断った。

母の症状にはムラがあり、時には普通に過ごせる日もあった。
だが、その根底には「自分がない人」という印象が、ふく子の中に強く残った。

考えを問うても、母は「どう思うということがよく分からない」と答えた。
母には、曖昧なものを考える力がなかったのだ。


母との関係|求めても得られなかった愛情

母の話は、いつも「普通だったらこう」「あいつはこういうことをやった許せない」「あの行動に腹が立った」というパターンだった。

「なぜその人はそんな行動をとったの?」
「その前後にはどんな出来事があったの?」

ふく子が問いかけても、母は「知らない」「分からない」「覚えてない」と答えた。

過去と現在、未来を統合する能力がない。

心理学を学ぶ中で、その理解にたどり着いた。

母との会話の中で、ふく子は 仮説を与えるようになった。

「こうだったかもね」「たぶん、こう考えたのかも」

すると、母は 「知ってた」 と言ったり、気持ちが落ち着く様子を見せた。
でも、それは 何度も何度も繰り返された。

ふく子にとって、母は「心を理解してくれる存在」ではなかった。
それでも、愛されていなかったわけではない と思えることが救いだった。


狂気との日々|母の被害妄想と私の傷

母は、物が見つからないと 「泥棒が入った」「誰かに監視されている」 と騒ぎ立てた。

何度も 「お前が盗んだのか」と怒鳴られた経験がある 。

病気だと理解していても、心は傷ついた。

母の心情を理解できないまま、ふく子は 「私を理解してくれる人なんていない」 という壁を作っていった。

母の姑や父、親戚にまつわる悪口をずっと聞いて育ったふく子は、結婚に興味を失った。

それでも、「子どもを産んでみたい」という気持ちがあったから、結婚を決めたのだ。


母を引き取る決意|それは「自分を嫌いにならないため」

母が離婚し、一人で暮らすようになったのは、ふく子が27歳の頃だった。

母は精神科の先生から 「この病気は寝ないとダメ」 と言われていたが、薬だけでは症状は治まらなかった。

ある日、母から 助けて欲しいという趣旨の電話が多くかかってくるようになった。

母の住まいは、ゴミで溢れ、足の踏み場もないほど荒れていた。

ふく子は、母を身近に置くことに抵抗があった。

だが、ふく子は決断した。

このまま母を見捨てたら、私は自分を嫌いになってしまうかもしれない。

何より母が一人で他界した時に、安堵してしまう自分に会うのが怖かった。

それが、母を引き取る最大の理由だった。


後悔と苦悩|家庭に広がる負の影響

ふく子の家庭は、子どもと笑いの溢れる空間にしたかった。
しかし、母は ネガティブな言葉を吐き、恨み節ばかりを話した。

それは、ふく子を精神的に追い詰めた。

だが、子どもが増えるにつれて、母は変わっていった。
孫たちを守る使命ができたのかもしれない。

しかし、3人目の子どもが小学校に入り、手が離れた瞬間、母の精神バランスが再び崩れた。

「誰かに攻撃されている」「監視されている」

そう語り、部屋は再びゴミで埋め尽くされていった。

ふく子は、過去の母との嫌な記憶が蘇り、精神的に病んでいった。
それでも、気丈に振る舞えたのは 「子どもがいたから」 だった。

何かで、本当に自分を辞める人はコンビニに行くようにビルから飛び降りるという話を読んだ。

それが理解できると思った時、ふく子は心療内科の扉を開いた。

家では笑って話していた。

夫も子どもも、ふく子がどれほど病んでいたか知る術はなかっただろう。


姉の言葉が救いだった

ふく子を精神的に支えてくれたのは、姉だった。

姉は遠方に嫁いでいた。 

よって実質的に長女の役割を次女のふく子がすることになる。

行動として何かをしてくれたわけではなかったがそれも仕方ない。

ふく子は自分でどうにかしようと抱え込む傾向があったからだ。

他人から観て、支援が必要な状態なのか分かりにくいのである。

姉は言った。

「いざとなったら精神病院に入れればいい。うちの旦那が費用を出してもいいと言っている。」

その言葉に甘えるつもりはなかった。

母に「この家にくるんじゃなかった」と言わせたら、ふく子は負けだと思っていたからだ。

でも、「いざとなったら母を放り投げられる」 と思えたことが救いだった。

だから頑張れた自分がいる。


決着と次なる問題|母の施設入所と夫の再反乱

その後、母は糖尿病も持っていたため、合併症もあり、入退院を繰り返した。

最終的に、老人養護特別施設に入所することになった。

ふく子は、一つの大きな問題を解決した。

その渦中に、夫の2度目の反乱が勃発する。


次回:夫の2回目の反乱で私は再び決意する|プロローグ⑤

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